新しい記事を書く事で広告が消せます。
姫路市の南東、網干の浜に小さなモーターボートをおいています。天気がよくて、雨が降りそうでなくて、風が強くなくて、波が穏やかで、入院患者さんが落ち着いていて、研究会や医師会の集まりがなくて、そして前日の飲み会の二日酔いが残っていない時に、播磨の海に釣りにでます。あいにく今年は現時点でこの条件に合う日がなく、一滴の燃料も消費できておりません。
むかいの家島諸島には20分ほどで到着します。釣りは全くの初心者ですので、解説本を読んで簡単な仕掛けを作ります。10〜30mほどの深さのところでの流し釣りです。アンカーを打たずに潮や風で船が流されるままにして釣ります。こんな素人でも大漁の時は20cmほどのキスが一人で20匹ほど釣れたりします。
ただ、針に餌をつけていると手が臭くなります。イシゴカイというミミズのような虫に針を刺すのが気持ち悪い。魚が釣れると針からはずさなければなりません。釣りの腕が悪いもので魚は針をしっかり飲み込んでくれています。無理して引っ張ると内蔵までついて出てきます。これも気持ち悪い。内視鏡検査で食道損傷を起こしてしまった医療事故のようです。そして悪戦苦闘していると、ますます手が生臭くなってしまいます。釣れた魚はクーラーボックスで持って帰ります。一度、ふたがゆるんでいて車の中が数ヶ月間においの残る大惨事となってしまいました。家に帰ると魚は台所へ行って私の手を離れるのですが、最後の仕事が残っています。クーラーボックスの洗浄です。あぁー生臭い。
こんなに文句を言うなら釣りなど止めればよいということになります。私もそう思います。私の理想は針に餌をつけずに釣りをして、一匹も釣れないことです。海にでていればそれだけでよいのです。潮の香りのなか、波に揺られているのが好きなのです。遠くの陸を眺めながら、海を感じることができればそれでよいのです。ただ、釣りもせずに海の上を漂うだけでは、なかなか付き合ってくれる人はいませんし、餌をつけずに竿を出していると少し変な人になってしまいます。専従の船頭さんとなって満足している時もあります。と、いいましてもたくさん釣れれば、それはそれで楽しいのではあります。
昨年、しっかり海を感じる機会がありました。波の高さ50cm、風は少々、家島諸島の男鹿(「たんが」と読みます)の帰り、私なりにポイントがありますので、そこそこの釣果での帰りでした。操船は友人がしており、私は船の一番後ろに座って潮風を体いっぱいに味わっていました。船が小さな波でほんの少しバウンドして船の後ろに投げ出されました。一瞬水の中に潜り込みましたが、自動膨張式の救命胴衣がふくらみ、ぽっかりと播磨の海に浮かんでいました。船はかなり先に進んで結構小さな姿となっていました。海の水を飲んでしまいましたが、青春の味がしました。学生の頃、競技用のヨットに乗っていて練習中でもレース中でも転覆することが時々あり、その時と同じ味がしました。そして、宇宙遊泳中の宇宙飛行士の姿が頭に浮かびました。その時の私も船から遠く離れて(実際は数十メートルですが)、海の中に一人浮かんで海中遊泳のようなものでした。私と海、大げさに言えば私と地球の関係を宇宙飛行士に重ね合わせていました。学生時代を思い出して、そして海を体感して、ニコニコして浮かんでいると、青い顔した友人が戻ってきてくれて、無事帰還いたしました。
何とか都合をつけて早く海にでたいものです。「海が俺を呼んでいるぜ!」なんてね。
兵庫県医師会報 2008年8月号掲載
むかいの家島諸島には20分ほどで到着します。釣りは全くの初心者ですので、解説本を読んで簡単な仕掛けを作ります。10〜30mほどの深さのところでの流し釣りです。アンカーを打たずに潮や風で船が流されるままにして釣ります。こんな素人でも大漁の時は20cmほどのキスが一人で20匹ほど釣れたりします。
ただ、針に餌をつけていると手が臭くなります。イシゴカイというミミズのような虫に針を刺すのが気持ち悪い。魚が釣れると針からはずさなければなりません。釣りの腕が悪いもので魚は針をしっかり飲み込んでくれています。無理して引っ張ると内蔵までついて出てきます。これも気持ち悪い。内視鏡検査で食道損傷を起こしてしまった医療事故のようです。そして悪戦苦闘していると、ますます手が生臭くなってしまいます。釣れた魚はクーラーボックスで持って帰ります。一度、ふたがゆるんでいて車の中が数ヶ月間においの残る大惨事となってしまいました。家に帰ると魚は台所へ行って私の手を離れるのですが、最後の仕事が残っています。クーラーボックスの洗浄です。あぁー生臭い。
こんなに文句を言うなら釣りなど止めればよいということになります。私もそう思います。私の理想は針に餌をつけずに釣りをして、一匹も釣れないことです。海にでていればそれだけでよいのです。潮の香りのなか、波に揺られているのが好きなのです。遠くの陸を眺めながら、海を感じることができればそれでよいのです。ただ、釣りもせずに海の上を漂うだけでは、なかなか付き合ってくれる人はいませんし、餌をつけずに竿を出していると少し変な人になってしまいます。専従の船頭さんとなって満足している時もあります。と、いいましてもたくさん釣れれば、それはそれで楽しいのではあります。
昨年、しっかり海を感じる機会がありました。波の高さ50cm、風は少々、家島諸島の男鹿(「たんが」と読みます)の帰り、私なりにポイントがありますので、そこそこの釣果での帰りでした。操船は友人がしており、私は船の一番後ろに座って潮風を体いっぱいに味わっていました。船が小さな波でほんの少しバウンドして船の後ろに投げ出されました。一瞬水の中に潜り込みましたが、自動膨張式の救命胴衣がふくらみ、ぽっかりと播磨の海に浮かんでいました。船はかなり先に進んで結構小さな姿となっていました。海の水を飲んでしまいましたが、青春の味がしました。学生の頃、競技用のヨットに乗っていて練習中でもレース中でも転覆することが時々あり、その時と同じ味がしました。そして、宇宙遊泳中の宇宙飛行士の姿が頭に浮かびました。その時の私も船から遠く離れて(実際は数十メートルですが)、海の中に一人浮かんで海中遊泳のようなものでした。私と海、大げさに言えば私と地球の関係を宇宙飛行士に重ね合わせていました。学生時代を思い出して、そして海を体感して、ニコニコして浮かんでいると、青い顔した友人が戻ってきてくれて、無事帰還いたしました。
何とか都合をつけて早く海にでたいものです。「海が俺を呼んでいるぜ!」なんてね。
兵庫県医師会報 2008年8月号掲載

